エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
中沢新一 VS 中沢新一 - dzogchen’s diary 薔薇十字制作室 はてな出張所
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
中沢新一 VS 中沢新一 - dzogchen’s diary 薔薇十字制作室 はてな出張所
[以下は、ミクシィに書いた中沢新一の『はじまりのレーニン』のレビューに基づいています。] ふたりの中... [以下は、ミクシィに書いた中沢新一の『はじまりのレーニン』のレビューに基づいています。] ふたりの中沢新一がいる。 中沢新一I は、癒し志向で、ソフトな予定調和のヴィジョンを求めている。 もうひとりの中沢新一II は、破壊的で、想像界の向こう側にあるリアルに到達しようとするマテリアリストである。 『チベットのモーツァルト』の中沢新一は、構造主義→記号論→ポスト構造主義という浅田彰が『構造と力』で示した三段階図式を踏襲していた。例えば「丸石の教え」で中沢は、丸石について共同体の「内と外という存在論的二元論」はないとし、「自己生成する非=中心化システム」であると説く。これは、記号論に特徴的な二元論を超えることを示している。 ところが『雪片曲線論』では、レヴィ=ストロースの解明した「野生の思考」を擁護する立場が示される。三段階図式ならば、ポスト構造主義と構造主義の共存はありえないのだが、予定調和