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■ - 偽日記@はてなブログ
●いろいろあって、今月はあまり本を読めなかったのだが、そうこうしているうちに『フィクションとは何か... ●いろいろあって、今月はあまり本を読めなかったのだが、そうこうしているうちに『フィクションとは何か ごっこ遊びと芸術』(ケンダル・ウォルトン)が発売された。大きい、分厚い、そして二段組み。 ウォルトンの「フィクションを怖がる」はとても面白いテキストだけど、突っ込みどころも多くて、例えば準-恐怖という概念はやはり成り立たないのではないかとか思ったりするのだけど、この大著ではどうなっているのだろうか。 「フィクションを怖がる」では、緑のスライムのような怪物が襲ってくるホラー映画という例が最初に挙げられるのだけど、それはホラーというよりむしろパニック映画のようなものなのではないか。例えばスピルバーグの『宇宙戦争』みたいなのをホラーとは普通言わないと思う。ホラーは、霊的なものに対する恐怖が基本にあると思うのだけど、ウォルトンの準-恐怖では、身体に危険が迫ってくるというレベルの恐怖しか考えられてなく