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『日本書紀』は海外PR用で『古事記』は国内向けだった? ほぼ同じ時期に天武天皇が2つの「歴史書」を作らせた謎とは?【日本の神様&神話のトンデモ都市伝説/第7回】
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『日本書紀』は海外PR用で『古事記』は国内向けだった? ほぼ同じ時期に天武天皇が2つの「歴史書」を作らせた謎とは?【日本の神様&神話のトンデモ都市伝説/第7回】
寛永版本 古事記 國學院大學古事記学センター蔵 画像:しんぎんぐきゃっと, CC BY-SA 4.0 , via Wikimed... 寛永版本 古事記 國學院大學古事記学センター蔵 画像:しんぎんぐきゃっと, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons これまで日本神話における神様たちのトンデモエピソードを紹介してきたが、ここで少し神話のエピソードから離れ、シリーズの第3回や第5回前編で述べたように、『古事記』と『日本書紀』の違いについて解説したい。 改めて確認すると、『古事記』は一貫した話の流れで構成されているのだが、『日本書紀』は本文とは別の説も多く載せている。また「記紀」では取り上げられる逸話やその描き方にも違いが多い。 たとえば、アマテラスとツクヨミ、スサノオのいわゆる「三貴神」は、『古事記』ではイザナギが顔を洗ったときに生まれたとしているが、『日本書紀』では第四段の一書(第十)で、イザナギとイザナミが国生みを終えたあとに、三柱の神を生んだと記されている。 そのほかにも、連載第4回中