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散楽、結婚……時代考証が伝える、平安時代を楽しむための基礎知識(倉本 一宏)
2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品... 2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。 藤原忯子の死 大河ドラマ「光る君へ」第7話では、花山(かざん)天皇の女御の藤原忯子(しし)の死が描かれた。それが寛和二年(986)六月の花山天皇の退位につながったという『栄花物語』の主張に沿ってドラマは進行していくことと思うが、史実はそれほど単純なものではない。 忯子が死んだのは、寛和元年(985)七月十八日のことで、しかもその間、忯子の死の約4ヵ月後の十二月五日に新たに婉子(えんし)女王が入内しているのである。かつて今井源衛氏が述べられたように、この事実は、忯子の死に対する悲嘆がそのまま花山の退位を呼び起こすものとする『栄花物語』の主
2024/03/10 リンク