エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
第112回 藤山愛一郎(その三)選挙資金調達で財産を使い果たす。だが、「いささかも悔いは残らない」(福田 和也) @gendai_biz
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
第112回 藤山愛一郎(その三)選挙資金調達で財産を使い果たす。だが、「いささかも悔いは残らない」(福田 和也) @gendai_biz
藤山愛一郎が岸内閣の外相として入閣したのが、昭和32年7月、政界引退を表明したのが50年9月。この間に... 藤山愛一郎が岸内閣の外相として入閣したのが、昭和32年7月、政界引退を表明したのが50年9月。この間に果たしてどれだけの金を使ったのか---。 まずは、昭和33年5月の総選挙である。この選挙で愛一郎は議席を獲得したが、『政治わが道 藤山愛一郎回想録』では選挙資金について、こう記されている。 「まったくの素人だったこともあって、かなりの額を注ぎ込まねばならなかった。選挙通と自称する、いわゆる選挙ゴロのブローカーが寄ってたかって『この地区はいくら票が出るから、このくらい出しなさい』といって持っていく。(中略)選挙が終わった後でもまだ、ブローカーたちは『あなたのために、部屋を借りて運動した』などといって、部屋代や電話代、自動車賃などのツケを回してきた」 具体的にいくらとは書かれていないが、かるく1000万円は超えたのではないだろうか。大学卒の初任給が1万3000円の時代である。 選挙後、愛一郎は