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稀代の仏教哲学者・鈴木大拙が今こそ読まれるべき理由(安藤 礼二)
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稀代の仏教哲学者・鈴木大拙が今こそ読まれるべき理由(安藤 礼二)
折口信夫と西田幾多郎への多大な影響力 まさか自分が鈴木大拙を主題として一冊の本を書き上げることがで... 折口信夫と西田幾多郎への多大な影響力 まさか自分が鈴木大拙を主題として一冊の本を書き上げることができるとは思ってもいませんでした。 そもそも大拙に関心を抱いたのは、折口信夫について調べている過程で、でした。折口信夫は、大学の卒業論文として『言語情調論』を提出します。後に国文学者にして民俗学者となる人物からは想像もつかないような破格の言語論で、詩的言語発生の条件を社会学的かつ心理学的に探求していこうとしたものでした。 折口は、言語のもつ機能を二つに分けます。日常のコミュニケーションを成り立たせている間接性の言語と、非日常のコミュニケーション(つまりは詩)を成り立たせている直接性の言語です。両者の違いは、言語のもつ「意味」にダイレクトに迫っているか否かという点にあります。 日常のコミュニケーションでは、言語のもつ「意味」を正確に伝えるために、「意味」の表層に間接的にしか触れません。非日常のコミ