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入門講座(16) 洗礼と堅信 - 片柳神父のブログ「道の途中で」
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入門講座(16) 洗礼と堅信 - 片柳神父のブログ「道の途中で」
《今日の福音》ルカ12:35-38 主人の帰りを待つよい僕のように、いつ主人が帰って来てもいいように準備し... 《今日の福音》ルカ12:35-38 主人の帰りを待つよい僕のように、いつ主人が帰って来てもいいように準備していなさいとイエスは言っています。「主人が帰ってくる」という表現は、世の終わりに審判者である「人の子」イエスが再び来られることの比喩と考えられます。いつ世の終りが来てもあわてないように、神の御旨に従った生活をしていなさいとイエスは言いたかったのでしょう。 柳田敏洋神父様は、ここで「目を覚ましている」という言葉が使われていることに注目しています。仏教で煩悩から解放され、解脱した人のことを「覚者」(ブッダ)と呼ぶことと響き合う表現ではないかと考えられるからです。わたしたちはキリスト教徒も、自我への囚われから解放され、いつも聖霊の力によって目覚めている必要があるでしょう。 《洗礼と堅信》 今回は、キリスト教に入信するプロセスの中で中心になる洗礼・堅信・御聖体の3つの秘跡の中から、特に入信に固