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「東大女子という生き方」から考える、エリートの定義 | 本がすき。
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「東大女子という生き方」から考える、エリートの定義 | 本がすき。
『東大女子という生き方』文藝春秋 秋山千佳/著 「エリートとは、失敗しない人間のことではない。失敗... 『東大女子という生き方』文藝春秋 秋山千佳/著 「エリートとは、失敗しない人間のことではない。失敗に対して免疫のある人間のことだ。」 これは私が高校生の時に聞いて、今でも覚えている言葉だ。15歳の春、私は憧れていた県内トップの進学校に合格し、「これで自分もエリートだ」と浮かれていた。しかし、入学直後に行われた数学の実力テストの結果を見て、浮かれ気分は一気に吹き飛んだ。 100点満点中、たったの59点。これまでの人生で一度も見たことがない数字だった。「自分はこんなに頭が悪かったのか」と、自信が音を立てて崩れ落ちた。 そんな私の気持ちを見透かすように、担任の教師がにこやかな笑顔で話し始めた。 「中学時代の皆さんは、テストはいつも満点ばかりだったはずです。今回の結果を見て、ショックを受けた人もいたのではないでしょうか」 その後に出たのが、冒頭の言葉だ。つまり、進学校に受かっただけで自分をエリート