エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
考えるために出かける
哲学者の西田幾多郎が、思索のためにいつも東山の疏水べりの径(こみち)(後の「哲学の道」)を歩いて... 哲学者の西田幾多郎が、思索のためにいつも東山の疏水べりの径(こみち)(後の「哲学の道」)を歩いていたように、人間は歩いている時に、いろいろとアイディアを得たり、考えを深めたりできるもののようです。 宮沢賢治が、よく野山を歩きまわっては心に映ずる知覚やイメージを手帳にメモして、それを「心象スケッチ」として作品にしたのも、歩行や移動が持つそのような性質を、利用したものと言えるでしょう。 彼らの場合は、「たまたま歩いていたら、考えが浮かんだ」のではなくて、「心に生ずる想念を捕獲するために、わざわざ歩きに行く」のです。 そして賢治の詩作品の中には、自らが考えるべき問題をあらかじめ措定した上で、わざわざその思索のために出かけたことが、具体的に記されているものもあります。 その一つは「小岩井農場」で、もう一つは「青森挽歌」です。 図らずも、前者は8082文字もある『春と修羅』最長の作品で、後者は385