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「一国平和主義」という病気はなぜ生まれたか : 池田信夫 blog
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「一国平和主義」という病気はなぜ生まれたか : 池田信夫 blog
2017年04月16日00:20 カテゴリ本 「一国平和主義」という病気はなぜ生まれたか 米空母カール・ビンソン... 2017年04月16日00:20 カテゴリ本 「一国平和主義」という病気はなぜ生まれたか 米空母カール・ビンソンが朝鮮近海に出動して緊張が高まっているが、「戦争法案」に反対した野党やマスコミは妙に静かだ。世界に平和主義と呼ばれる思想はあるが、「憲法第9条で日本を守る」という一国平和主義は特殊日本的な病気である。それが生まれた背景には、歴史的な経緯がある。 分かれ目は、1951年の吉田=ダレス会談だった。一般には、朝鮮戦争に直面して日本に再軍備を迫るダレスの要求を吉田が拒否し、アメリカはやむなく日米地位協定(および安保条約)で米軍を駐留させたことになっているが、これは不自然である。まだ占領下だったのだから、日本の実質的な「主権者」だったアメリカが日本に再軍備を強制することはむずかしくなかったはずだ。 ジョージ・ケナンは本書で「1950年春には、講和条約締結後もアメリカ軍を無期限に日本に駐留さ