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新海誠が『すずめの戸締まり』で描きたかったものは何か?(杉田俊介・批評家)/イミダス
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新海誠が『すずめの戸締まり』で描きたかったものは何か?(杉田俊介・批評家)/イミダス
映画の舞台となった御茶ノ水駅にあるフォトスポット 新海作品には「日本列島」への愛が足りない? これ... 映画の舞台となった御茶ノ水駅にあるフォトスポット 新海作品には「日本列島」への愛が足りない? これらを指摘した上で、最後にはっきりと疑問を述べておきたい。『すずめの戸締まり』が示したこの方向で本当に「大丈夫」なのか、と。すでに述べたように、『すずめの戸締まり』を観るかぎり、新海監督が暮らす「日本」には、震災の心理(学)的な痛みとトラウマがあり、地方の貧困や荒廃の悲しみはあっても、まるで性差別的な現実も、排外主義も、原発の問題も存在しないかのようなのだ。これで一体なぜ「未来なんか怖くない」「いつか必ず朝が来る」「それはちゃんと、決まっていることなの」と言えるのか。 これはかつて私が『宮崎駿論』(2014年、NHKブックス)や『橋川文三とその浪曼』(2022年、河出書房新社)などの著作が書いたことに関わるが、私もまた民衆的民俗や宗教混合の先にあるような、日本列島の(丸山眞男の議論に従えば、たん