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マコンデ美術館 - Wikipedia
沿革[編集] 名古屋での開館[編集] 1971年(昭和46年)、当時、名古屋市で鉄工所を経営していた水野恒男... 沿革[編集] 名古屋での開館[編集] 1971年(昭和46年)、当時、名古屋市で鉄工所を経営していた水野恒男は、趣味である写真の被写体を求めて市内の民芸品店を訪れ、マコンデ族の彫刻に出会い衝撃を受けた[4]。この時に衝動買いした作品は、いかりや長介に似ていたことから「チョースケ」と名付けて、現在も美術館に所蔵されている[12]。それ以降、水野はマコンデ作品の収集に没頭した。最初は輸入業者を通して入手し、次第にアフリカ大陸へ赴き、芸術家から直接買い付けるようになっていった[4]。作品に魅了されるうち、広く一般にもマコンデ彫刻を知ってほしいという思いが募り始め、周囲の後押しもあって、1984年(昭和59年)11月、名古屋市南区に私設のマコンデ美術館を開館した[1][4]。 鉄工所を増築して260m2の展示場所を確保し、自身のコレクションから約50点を選んで公開した[4]。美術館の建設費は鉄工所