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浄厳院 - Wikipedia
現在の浄厳院の地には、正平年間(1346年 - 1370年)近江守護佐々木六角氏の六角氏頼により建立された天... 現在の浄厳院の地には、正平年間(1346年 - 1370年)近江守護佐々木六角氏の六角氏頼により建立された天台宗寺院の慈恩寺威徳院があったが、慈恩寺はその後兵火により焼失した。 天正5年(1577年)、織田信長は近江国栗太郡金勝山(こんぜさん、現・滋賀県栗東市)の浄土宗の僧・浄厳坊明感を安土に招くと信長は慈恩寺の旧地に一寺を開き、明感を開山として浄土宗寺院・浄厳院を建立した。 信長は浄厳院の本堂、本尊等を他所から移してきた。すなわち、本堂は多賀村(現・近江八幡市)の興隆寺の弥勒堂を移したものであり、本尊阿弥陀如来坐像は愛知郡(えちぐん)から移したものであったという。 しかし阿弥陀如来坐像の台座の真柱に「此尊像者雖為二階堂本尊従信長殿様被下候条天正六年浄 厳院」の墨書がある。愛知郡ではなく犬上郡甲良町下之郷にあった二階堂宝蓮院(信長により破壊される)の本尊を信長が分捕っていったと下之郷の地元