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源博雅 - Wikipedia
『朱雀門の月』(月岡芳年『月百姿』)朱雀門の鬼と合奏する源博雅 源 博雅(みなもと の ひろまさ)は... 『朱雀門の月』(月岡芳年『月百姿』)朱雀門の鬼と合奏する源博雅 源 博雅(みなもと の ひろまさ)は、平安時代中期の公卿・雅楽家。醍醐天皇の第一皇子である兵部卿・克明親王の長男。官位は従三位・皇太后宮権大夫。博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿と呼ばれる。管絃の名手。 初め博雅王を名乗るが、源朝臣姓を与えられて臣籍降下する。朱雀朝の承平4年(934年)二世王待遇の蔭位により従四位下に直叙される。中務大輔・右馬頭を経て、天徳3年(959年)右近衛中将に任ぜられると、応和4年(964年)左近衛中将と村上朝後半は近衛中将を務める。 円融朝に入ると、近衛中将を辞して皇太后宮権大夫に任ぜられて皇太后・昌子内親王に仕える。天延2年(974年)従三位に叙せられ公卿に列した。 天元3年(980年)薨去。享年63。最終官位は従三位皇太后宮権大夫。 雅楽に優れ、楽道の伝承は郢曲を敦実親王に、箏を醍醐天皇に、琵琶
2020/08/21 リンク