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田原淳 - Wikipedia
大分県東国東郡瀬戸田村(国東市安岐町)の中嶋家の長男として生まれる[2][3]。1889年に上京して東京英... 大分県東国東郡瀬戸田村(国東市安岐町)の中嶋家の長男として生まれる[2][3]。1889年に上京して東京英語学校と独逸学教会学校で学ぶ[2]。1892年、伯父の中津藩医・田原春塘の養子となる[2]。 1898年第一高等学校卒業[2]、1901年東京帝国大学医学部卒業[2]。1903年に私費でドイツに留学し[4]、小久保恵作の勧めにより[2]、マールブルク大学の病理学教室でルードヴィッヒ・アショフ(Ludwig Aschoff)に師事した[4]。 ここで田原は心筋について研究を行い、1905年刺激伝導系の存在を明らかにし、刺激伝導系において重要な役割を持つ「房室結節(田原結節、田原・アショフ結節)」を発見した[2]。細菌学全盛の当時は、心臓病に関して治療法はおろか診断法すらほとんど確立されていない時代であり、田原の発見はその後の心臓学の礎を築いた世界的な発見であった。1906年、哺乳類の心筋