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第二水俣病 - Wikipedia
原因物質であるメチル水銀を阿賀野川に排出したのは、新潟県東蒲原郡鹿瀬町(現・阿賀町)に位置してい... 原因物質であるメチル水銀を阿賀野川に排出したのは、新潟県東蒲原郡鹿瀬町(現・阿賀町)に位置していた昭和電工鹿瀬工場であった[5]。 鹿瀬工場はもともと、昭和恐慌の影響により電力会社が余剰電力を抱えていたこともあり、東京電力の前身の1つである東京電燈、東信電気および鈴木商店の共同出資により、阿賀野川第一発電所の発電全量を買い取る契約で昭和肥料鹿瀬工場として1929年(昭和4年)に操業を開始した、カーバイドから肥料用の石灰窒素を生産する工場である。 1936年(昭和11年)、昭和肥料鹿瀬工場に隣接して昭和合成化学工業が設立。昭和肥料からカーバイドの供給を受けてアセチレン・アセトアルデヒドを経て酢酸やその誘導品を合成する工場が操業を開始した[6][4]。 カーバイドの用途はもともと肥料用が主たるもので、有機合成用は一部を占めるのみであった。しかし石灰窒素肥料は価格が安く企業収益への寄与が限られる
2022/05/16 リンク