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紀伊国造 - Wikipedia
『先代旧事本紀』「国造本紀」では、神武朝に神皇産霊命の五世孫の天道根命を国造に定めたとされる。『... 『先代旧事本紀』「国造本紀」では、神武朝に神皇産霊命の五世孫の天道根命を国造に定めたとされる。『紀伊続風土記』においても神武天皇の畿内平定ののちに紀伊の国造に封じられた天道根命の嫡流であるとされる。 実際に任命された最初の紀伊国造は、6世紀の紀忍勝(日本書紀敏達12年7月丁酉条、10月条)であると考えられている[2]。 紀氏(きうじ、姓は君)で、後に庚午年籍で紀直に改姓したと見られ[3]、承和二年三月には紀宿禰を賜姓された。 神話の時代を含めると2,000年以上もの長い歳月を経た今もなお日前国懸の神に仕えている。これほどの古い家系を今に伝えているのは、天皇家を除くと、出雲国造家の千家・北島の両家、阿蘇神社の大宮司である阿蘇家(阿蘇国造)、宇佐神宮の大宮司である宮成・到津(宇佐国造)の両家、隠岐国造家であった億岐家、籠神社の宮司である海部家、熱田神宮の大宮司である千秋家(尾張国造)、住吉大社