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足利茶々丸 - Wikipedia
足利 茶々丸(あしかが ちゃちゃまる)は、室町時代後期の武将。初代堀越公方の足利政知の子。「茶々丸... 足利 茶々丸(あしかが ちゃちゃまる)は、室町時代後期の武将。初代堀越公方の足利政知の子。「茶々丸」は幼名であり、元服をせずに死去したため、成人としての実名である諱は伝わっていないとされる[2]。 父の死後に一族間で内紛を起こして家督を相続するが、伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められて各地を転戦の果てに自害し、堀越公方家は滅亡した。 生涯[編集] 足利茶々丸公方墓(願成就院) 文明年間(1469年 - 1487年)、堀越公方・足利政知の長子として生まれた[3]。異母弟に室町幕府の11代将軍・足利義澄(清晃)、潤童子などがいる。 茶々丸は嫡男であったが、素行不良の廉で父の政知の命により廃嫡された上に土牢に幽閉され、代わりに弟の潤童子が後嗣とされた。一説には、潤童子の実母(茶々丸にとっては継母)の円満院が実子の潤童子を後嗣とするため政知に讒言し[4]、茶々丸は元服させられることなく廃嫡・幽閉されたと