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野戦重砲兵第1連隊 - Wikipedia
野戦重砲兵第1連隊(やせんじゅうほうへいだいいちれんたい、野戦重砲兵第一聯隊)は、大日本帝国陸軍の... 野戦重砲兵第1連隊(やせんじゅうほうへいだいいちれんたい、野戦重砲兵第一聯隊)は、大日本帝国陸軍の野戦重砲兵連隊の1つ。軍隊符号は1SA。 1918年(大正7年)5月、東京湾要塞の要塞砲兵連隊2個大隊をもって神奈川県横須賀で発足。同年、改編に着手し1921年(大正10年)に編成完結、翌1922年(大正11年)8月に千葉県国府台に移転した。 当初は三八式十二糎榴弾砲、次いで四年式十五糎榴弾砲を装備し、1938年(昭和13年)には帝国陸軍の最新鋭重榴弾砲である九六式十五糎榴弾砲に改編、1939年(昭和14年)のノモンハン事件に2個大隊:6個中隊の応急編成で動員された。しかし、新十五榴装備後は日が浅く訓練が十分ではなかったうえ、広漠未知の戦場におけるソ連労農赤軍の優秀な機械化部隊の攻勢を受け、全弾を撃ち尽し十五榴を自爆処分し決死の肉薄攻撃を敢行、火砲と運命を共にした。特に山崎昌来陸軍砲兵中尉(戦