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金時敏 - Wikipedia
金忠甲の三男。元寇で高麗軍を率いた金方慶の子孫である。 金時敏は幼時、戦ごっこが好きだった。来る日... 金忠甲の三男。元寇で高麗軍を率いた金方慶の子孫である。 金時敏は幼時、戦ごっこが好きだった。来る日も来る日も戦ごっこに明け暮れ、大将になって他の子供達を指揮した。8歳の時、路上で子供達と戦ごっこをしていたが、その時天安郡守の巡視があり、随員が道を退きなさいと言った。すると金時敏は「一介の郡の使いがむやみに陣中を通り抜けることは罷りならぬ」と叱った。この姿を見た郡守は金時敏の頭を撫で、「後に立派な将軍になるだろう」と声を掛けると、道を空けて去ったと言う。 少年時代金時敏が住んでいた柏田村の入口には、柏田川が流れていた。その川岸には水中に大きな岩があり、岩の下には大きな洞窟があった。そしてその洞窟の中には大きな蛟(みずち。幼い龍)が1匹暮していた。その蛟は毎日村に現れて家畜を襲ったために人々はその蛟を恐れた。9歳になった金時敏は蛟を退治する方法を研究し、「ヨモギの枝で作った矢を、桑で作った滑路