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「泣ける」は説得力があると同時に、極めてどうでもいい言葉でもある【ゲームライターの日常 S3】
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「泣ける」は説得力があると同時に、極めてどうでもいい言葉でもある【ゲームライターの日常 S3】
僕がゲームライターとして仕事をするうえで気をつけているのが「過剰すぎる表現を避ける」ということ。... 僕がゲームライターとして仕事をするうえで気をつけているのが「過剰すぎる表現を避ける」ということ。ネット上で目立つにはそういった表現をどんどん使ったほうがよかったりするものの、それは文章として適しているわけではないからです。 たとえば「泣ける映画」という表現はよく耳にしますが、これに関してあなたはどう思うでしょうか? 興味をそそられる人もいれば、くだらないものだと思ってしまう人もいるかもしれません。 「泣ける」は強い言葉であるがゆえに、同時に信用ならない言葉でもあります。過剰過ぎる表現を避ける理由について、これを例に考えていきましょう。 “感動しい”の妻から涙に疑問を持つ 僕が「泣ける」に強く疑問を持ったのは妻がきっかけです。というのも彼女は“緊張しい”ならぬ“感動しい”なところがあり、よく涙をこぼします。 小学生の姪の学芸会を見に行ったときも感動しており、このときは「僕のほうの親戚なのに、