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明治末期の古書展事情 - 神保町系オタオタ日記
誰ぞやほほへほ氏、最近はu-sen氏も「通勤」するらしい古書展。東京で最初に開催された古書展については... 誰ぞやほほへほ氏、最近はu-sen氏も「通勤」するらしい古書展。東京で最初に開催された古書展については、先日も考察したところである。明治末期の古書展の状況について、幾つかの日記で開催状況を見てみよう。 八木福次郎氏によると、「日本橋の榛原の隣にあった常磐[ママ]木倶楽部で明治四三年か四年に第一回を、四五年一月二七、二八日に第二回、四五年四月六、七、八日に第三回、そのあとメンバーを変えて両国の美術倶楽部、神田明神内の開化楼、神田錦町の南明倶楽部、蛎殻町の相互倶楽部、神保町の西神田倶楽部や、読売新聞社講堂などで開かれるようになった」という。さて、両国の美術倶楽部の古書展だが、常盤木倶楽部で開催された第三回目の古書展より前に開催された可能性がある。『中浜東一郎日記第三巻』によると、 明治45年3月20日 晴 専売局に出頭、午前畔柳二吉氏来訪 午食を共にし、両国に開く古書展覧会へ同行(電車)。然る