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『オトナ帝国』から『レディ・プレイヤー1』へ 消費ではない継承の可能性
作品を貪るように楽しむこと。それを誰に責められるいわれもない。しかし、文化を消費することと、継承... 作品を貪るように楽しむこと。それを誰に責められるいわれもない。しかし、文化を消費することと、継承することとは、似ているようで全く異なる様態だ。縮小再生産される“懐かしさ”も“新しさ”も、半永久的に消費できるという点において相違ない。 文化を継承する鍵を、映画『レディ・プレイヤー1』の中に見た。 スティーヴン・スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』は確かに傑作だ。劇場での鑑賞が必須な映画体験であり、映画史に残る映画だと言いたい。 ただ一つ、腑に落ちない点を挙げるなら、それはこの映画の“語られ方”にある。 映画の感想サイトなどでの本作のレビューはおおむね好評だ。いわく、「映画・アニメ・ゲームオタクのための様々なシーンやキャラクターの引用」や「VRコンテンツの未来描写」が広く人々にウケているようだ。だが、この映画の本懐はそこにはない。 いや、むしろそれら「過去のコンテンツへの懐古」や「未来描
2018/05/08 リンク