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アダム・スミス 道徳感情論 2章 たがいを思いやるよろこび1.1.15〜16 | さりはま書房ー徒然なる紙魚の虫食い痕
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アダム・スミス 道徳感情論 2章 たがいを思いやるよろこび1.1.15〜16 | さりはま書房ー徒然なる紙魚の虫食い痕
陽気な心が仲間の共感をうんで、さらに陽気にもりあがることがあるかもしれないが、よろこびを生じてい... 陽気な心が仲間の共感をうんで、さらに陽気にもりあがることがあるかもしれないが、よろこびを生じているようには見えない。だが、よろこびがないからといって、絶望から苦痛を生じるように見えるわけではない。陽気さも、絶望もともに、あきらかに幾分よろこびを生じたり、苦痛を生じたりはする。なにかの本でも、詩でも、同じものをしょっちゅう繰り返し読んでいると、もうその本を読んでも自分では楽しみが見つけられなくなる。でも友人に読んであげるときには、よろこびを感じることができる。友人にすれば目新しいことなのである。その本は当然ながら友人をわくわくさせることになり、私たちも驚いたり、賞賛したりしている友人に共感してしまう。だが、その本は私たちをもうわくわくさせることができない。私たちがみているような角度ではなく、友だちがみているような角度から、すべての考えを光にあてて見てみる。私たちは共感を楽しむが、その共感は私