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アダム・スミス 道徳感情論 情熱について語る時、あざけったり、からかったりしないではいられない | さりはま書房ー徒然なる紙魚の虫食い痕
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アダム・スミス 道徳感情論 情熱について語る時、あざけったり、からかったりしないではいられない | さりはま書房ー徒然なる紙魚の虫食い痕
想像力に由来する情熱のなかでも、想像力から生じた独特の才能や癖に端を発するものがある。情熱をいだ... 想像力に由来する情熱のなかでも、想像力から生じた独特の才能や癖に端を発するものがある。情熱をいだくことがどこまでも自然なことだと認められていても、少しも共感することはない。人間の想像力とは、独特の解釈を獲得したものではないので、情熱を分かち合うわけにはいかない。こうした情熱とは、人生のある局面において、避けがたいものであると考えられている。だが、いくぶん、常に奇妙なものである。こうしたことは、性が異なる二人のひとのあいだで、たがいの考えを相手に伝えたりするうちに、長い時間をかけて、自然に育っていくものである。だが、私たちの想像力とは、恋する人の想像力と同じような筋道をたどるわけではない。だから、恋する人の情熱の激しさを追体験することはできない。もし友が負傷すれば、その友の怒りを共感することはたやすいし、友が怒りを感じている相手に怒りを感じる。もし友を援助するなら、友の感謝をうけることは容易