エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
第三話 三つの矢 - 毛利輝元転生 ~記憶を取り戻したら目の前で備中高松城が水に沈んでるんだが~(のらふくろう) - カクヨム
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
第三話 三つの矢 - 毛利輝元転生 ~記憶を取り戻したら目の前で備中高松城が水に沈んでるんだが~(のらふくろう) - カクヨム
天正十年六月二十五日。安芸国東南、将来広島と呼ばれる地。 鞆(なんちゃって)御所からの帰り、安芸国... 天正十年六月二十五日。安芸国東南、将来広島と呼ばれる地。 鞆(なんちゃって)御所からの帰り、安芸国最大の湾を望む高台で私は馬を止めた。眼下には太田川によって作られた広大な三角州と、湾を行き来する多くの船が見える。 私の知っている現代のと比べて半分くらいの面積しかないが、将来広島と呼ばれる地だ。 広大な平野の農業生産力と広島湾の水運はかつて安芸最大勢力であった安芸武田氏の基盤だった。安芸の一部を支配した分郡守護に過ぎない武田家はこの経済力を背景に四ヶ国太守である大内と長く渡り合った。 祖父元就の名が初めて知られたのが、この安芸武田当主信繁を討った戦い、西国の桶狭間とまで言われる有田中井手の戦いだ。 その後大内に従って武田家を滅ぼすのに大活躍したのが祖父で、大内家から与えられた旧武田領は本家の直轄地として私が継承している。湾の西には草津城がある。姫路で共に戦った児玉就英の父就方の城で、毛利直属