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18 樹木希林と私たち | 最後の読書 | 津野海太郎 | Webでも考える人 | 新潮社
いましらべてわかったけれども、そうか、あれは1977年のことだったのか。あるテレビ番組で悠木千帆がじ... いましらべてわかったけれども、そうか、あれは1977年のことだったのか。あるテレビ番組で悠木千帆がじぶんの芸名を競売にかけ、それが売れたかどうかして、以来、樹木希林と名乗るようになった。私はまだ悠木だったころに知り合い、「おい、ちほ」などと呼びかけるのになれていたので、あのときはいささかとまどったっけ。 でも、その当時はもう会う機会も減っていたし、じっさいには、さしたる面倒はなかったのだが、それでも3年にいちどぐらいのペースで、たまに会うと、そのつど「ちほ」と呼びそうになっていそいでやめる、といって「きりんさん」とも呼びにくいしなァ、というような状態が、なくなるまでつづくことになったのです。 そこで、いつもながらの昔がたり――。 1965年、すなわち東京オリンピックの翌年に、私は蜷川幸雄の紹介で、岸田森しんと、かれと結婚してまもない悠木千帆にはじめて出会った。 ふたりとも文学座演劇研究所を
2019/04/22 リンク