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昭和の鉄道旅 山陰の駅弁 海の幸 山の幸 国鉄 No.419 - 三陸 海 旅 つれづれなるまま
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今から約43年前の1979(昭和54)年の冬。 首都圏で学ぶ学生が国鉄周遊券を利用して訪れた山陰。 当時は... 今から約43年前の1979(昭和54)年の冬。 首都圏で学ぶ学生が国鉄周遊券を利用して訪れた山陰。 当時は高速道路などという早くて便利なものは存在せず、特急・急行・長距離列車全盛の時代。 駅弁需要もそれなりあったかと思います。 日本海沿岸部ではない、山間部を行く中国自動車道が全通したのはそれから4年後、1983年のこと。 乗ろうと思えば、ディーゼル機関車が客車を牽引する「京都発下関行き普通列車」が存在し、「(一部を除き)単線区間ではすれ違い待ちや急行・特急の通過待ち」「大きな駅では長時間停車」を繰り返しながら、何両もの車両を使い日本海をのんびり走り通していました。 残念ながら写真や包み紙等はありませんが、小型ノートのメモを見ると、当時の「お弁当事情」が少しだけ垣間見えてきます。 ★山間部(単位は円) 津山駅(岡山県) ます寿司400 しいたけ弁当400 新見駅(岡山県) 幕の内400 50