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別子銅山(べっしどうざん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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別子銅山(べっしどうざん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
別子山村足谷(あしたに)で開鉱したので足谷銅山とも称した。寛延二年(一七四九)に、新居(にい)郡... 別子山村足谷(あしたに)で開鉱したので足谷銅山とも称した。寛延二年(一七四九)に、新居(にい)郡立川山(たつかわやま)村(現新居浜市)の立川(たつかわ)銅山が泉屋(住友家)の経営になってからは別子立川両銅山とよばれ、明治六年(一八七三)以後は両方を併せて別子銅(鉱)山と称し、別子山村側の開坑地域を旧別子(きゆうべつし)ともよんだ。 別子銅山は元禄四年(一六九一)に開鉱され、昭和四八年(一九七三)の閉山まで約二八〇年間、曲折はあったが世界有数の銅山として活動を続けた。