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エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)
当館資料も活用されたエッセイを寄贈いただきました。それは、かの有名な『女工哀史』(細井和喜蔵著、1... 当館資料も活用されたエッセイを寄贈いただきました。それは、かの有名な『女工哀史』(細井和喜蔵著、1925年)のもう一人の作者と呼ばれている、高井としをの自伝『わたしの「女工哀史」』について書かれた歴史エッセイです。 著者は元教員の阪上史子さんで、阪上さんは『わたしの「女工哀史」』という1980年に書かれた本に出合ったことで、このエッセイを著すこととなったそうです。歴史の教科書にも載っている『女工哀史』は有名ですが、その著者である細井和喜蔵には事実婚の妻・としをがおり、彼女自身の工場体験を詳らかに細井に語ったことで名著が生まれた、ということはあまり知られていません。 婚姻届を出していなかったために、遺族として『女工哀史』の印税を受け取れなかったとしをは貧乏のどん底で大変な苦労をします。和喜蔵亡きあと、再婚した相手とも戦争中の空襲によって死別し、戦後は五人の子どもを日雇い労働(いわゆるニコヨン
2016/06/04 リンク