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「立場」について
おもに不登校・ひきこもりなどから考えていることを書いています。(山下耕平/NPO法人フォロ理事、... おもに不登校・ひきこもりなどから考えていることを書いています。(山下耕平/NPO法人フォロ理事、関西学院大学非常勤講師など) 東京シューレの出身者で、「明るい不登校」や不登校を「選択」とする言説を徹底して批判していた常野雄次郎の遺文集を読んだ(販売はされていないが、かなりの文章は彼のブログで現在も読むことができる)。まとまって読んでみて、あらためて彼の思想の一貫性と徹底性に感じ入るとともに、いろいろ考えさせられるものがあった。 そのひとつは、ものを書くときなどの「立場」についてだ。この記事では、そのあたりのことについて、ちょっと考えてみたい。 たとえば、常野は次のように言う。 伝統的な客観性の概念は、研究者に調査活動から自らのアイデンティティーを引き離すことを要求します。しかし、以下のような問いがなされなければなりません:そのような「分離」は実際に可能なものなのか? 「『アルキメデスの』点