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恭仁宮「朝堂院」ほぼ正方形で小規模 第1次平城宮と大きく異なる 京都 | 毎日新聞
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恭仁宮「朝堂院」ほぼ正方形で小規模 第1次平城宮と大きく異なる 京都 | 毎日新聞
恭仁宮跡で見つかった掘っ立て柱塀の南東端の柱穴。ここから左奥に向かって朝堂院が広がっていた=京都... 恭仁宮跡で見つかった掘っ立て柱塀の南東端の柱穴。ここから左奥に向かって朝堂院が広がっていた=京都府木津川市加茂町で2020年12月4日午後2時45分、鈴木健太郎撮影 聖武天皇が奈良時代の740年から3年あまり都を置いた恭仁宮(くにきゅう)(京都府木津川市)の中心区域の一つ「朝堂院」の大きさが東西117・3メートル、南北98・8メートルと確定し、直前の都だった第1次平城宮の朝堂院とは形、規模とも大きく異なることが判明した。府教委が4日発表した。 朝堂院は大臣級の役人が政務や儀式をした場所。平城京と同じく、天皇がいた「大極殿院」の南に隣接し、掘っ立て柱塀で囲まれた区域内…