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両国橋~芥川龍之介生育の地その5 - 文学のお散歩
両国の鉄橋は震災前と変らないといつても差支ない。たゞ鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた... 両国の鉄橋は震災前と変らないといつても差支ない。たゞ鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋にーー狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を感じてゐる。それは僕の記憶によれば、今日よりも下流にかゝつてゐた。僕は時々この橋を渡り、浪の荒い「百本杭」や蘆の茂つた中洲を眺めたりした。中洲に茂つた蘆は勿論、「百本杭」も今は残つてゐない。(「両国」) これは昭和2年5月2日から22日にかけて、当時毎日新聞社の社員だった芥川龍之介が社命を受けて、『東京日日新聞(夕刊)』に「東京大繁盛記(46~60)」の標書のもと、「本所両国」という題で書いた回想ルポタージュの一節です。 「震災」というのはもちろん、この文章が書かれた4年前の大正12年に起きた関東大震災のこと。生後間もなくの明治25年から第一高等学校に入学