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柳島・萩寺あたり~芥川龍之介生育の地その7 - 文学のお散歩
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柳島・萩寺あたり~芥川龍之介生育の地その7 - 文学のお散歩
芥川龍之介が幼少期の回想を交えながら綴ったルポタージュ「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕... 芥川龍之介が幼少期の回想を交えながら綴ったルポタージュ「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)は、両国停車場・両国橋からスタートし、その後「一銭蒸気」と呼ばれた小型の遊覧船に乗り、隅田川を遡上していきます。 現在の両国橋下 隅田川を行く屋形船 かつて隅田川には20以上の「渡し・渡船場」がありました。芥川が幼少の頃よく使っていたのは「富士見の渡し」で、これに乗って親戚の家などに行っていたのだそうです。 (小国政『東京風景 両国代地富士見の渡し』庁田長次郎 明治26 国立国会図書館デジタルコレクション) けれど関東大震災以後、震災復興事業で次々と隅田川の架橋が進み、「渡し」は廃止されていきました。芥川が「本所両国」の取材で訪れたときも、もうすでに「富士見の渡し」は廃止され、ちょうど蔵前橋が架橋工事中だったようです。 「渡し」があったころは、川に浪を立てるのは「一銭蒸気」や利