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西福寺古墳群 熊本県山鹿市城 - 墳丘からの眺め
前回のオブサン古墳からチブサン古墳へ行く前に、すぐ北側の西福寺古墳群の様子を。 下図は右上が北、オ... 前回のオブサン古墳からチブサン古墳へ行く前に、すぐ北側の西福寺古墳群の様子を。 下図は右上が北、オブサン古墳は右下の東方向で、そこから少し上がった台地端になります。 西福寺古墳群 この古墳群は、平小城台地の東斜面に所在し、石・大原間の旧道がこの中を通っている。「古代への道」から「古墳の森」にかけて、方形周溝墓や箱式石棺が密集し、古墳時代の一大墓域を形成している。これらの遺跡のほとんどは、風土記の丘整備事業により発見されたものである。 平小城台地の東端の崖下には、戦国期に栄えた中世寺院跡があり、この一帯の字名が西福寺とよばれるため、字名を冠して西福寺古墳群と命名した。主な遺跡としては、方形周溝墓(2基)、古墳(1基)、箱式石棺(12基)などがある。 1号方形周溝墓は盛土がなくなっていたが、土橋は南側にあり、内部主体は木棺であったと考えられる。2号方形周溝墓には盛土が残っており、内部に石棺の棺