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大和言葉が深すぎて、やばい -「きたない」の語源より - 未来が変わる読書堂
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大和言葉が深すぎて、やばい -「きたない」の語源より - 未来が変わる読書堂
『古事記』を別の視点から解釈している『新釈古事記伝』(阿部國治 著) 友人から、とにかく読んでみて... 『古事記』を別の視点から解釈している『新釈古事記伝』(阿部國治 著) 友人から、とにかく読んでみてと(ほぼ強制的に)全集を貸してもらった(押しつけられた)ので、(仕方なく)頁をめくって読み始めたところ、これが、これまでの固定観念ひっくり返って唖然とするほどの名作でした。 これまでのスサノオノミコト像をひっくり返す新たな分析と斬新な解釈は勿論のこと (確かに、これまでの古事記に出てくる彼は、日本を代表する神のはずなのに、単なる残念な暴れん坊としか描かれていなかったように感じます) なにより、本にちりばめられた、大和言葉の語源の深さに深く感銘を受けたのです。 たとえば「きたない」という言葉の語源について。 「きた」という言葉の語源は「順序」「秩序」という意味だそうで、それがない状態、すなわち、「秩序やけじめがない」、「整頓されていない」状態の心のことを、「きたなきこころ」だそうなのです。 では