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原爆は「日本人」に投下せよ…資料館に残る衝撃の「ハイドパーク覚書」 「降伏するまで繰り返し」非人道性の最たる一文も(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース
ハイドパーク覚書によると、ルーズベルト米大統領と、チャーチル英首相は「日本人」への原爆投下を話し... ハイドパーク覚書によると、ルーズベルト米大統領と、チャーチル英首相は「日本人」への原爆投下を話し合った 【発掘・考察 大東亜戦争】 広島G7(先進7カ国)サミットで、各国首脳が訪れた広島市の原爆資料館には、多くの日本人が知らない「ハイドパーク覚書」が展示されている。なぜ、広島・長崎の人々の頭上への原爆投下に至ったのか。 その答えが記された〝一次史料〟であるハイドパーク覚書は、1944=昭和19=年9月18日、米ニューヨーク州ハイドパークで、フランクリン・ルーズベルト米大統領と、ウィンストン・チャーチル英首相の会談の内容が記されたものだ。原本は、ハイドパーク郊外にあるルーズベルト大統領図書館に保管されている。 原爆資料館の展示はコピーだが、この覚書の中盤に重要な一文が記されている。 《When a ”bomb” is finally available, It might perhaps,
2023/08/14 リンク