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nix in desertis:自分が登った山の『日本百名山』を読む(九州編)
97.阿蘇山 いつもの歴史・文学語りは頼山陽から。頼山陽は1818年から1年間をかけて九州を周遊していて... 97.阿蘇山 いつもの歴史・文学語りは頼山陽から。頼山陽は1818年から1年間をかけて九州を周遊していて,阿蘇山も訪れたようだ。私事になるが,この間に長崎に旅行して訪れた料亭花月(当時は遊郭)に頼山陽は三ヶ月ほど滞在していたらしい。九州周遊の約四分の一をかけて滞在していたということになり,やはり長崎は学ぶものも遊ぶものも多かったのだろう。調べてみると大分(当時は豊後)の耶馬溪を命名したのも頼山陽と伝わっているそうで,豊後では広瀬淡窓とも会っており,わずか1年で吸収に残した足跡は多い。閑話休題,その他に『日本書紀』に早くも記述があることや,夏目漱石の『二百十日』の舞台であることが語られている。後者は存在自体を知らなかったのだが,夏目漱石は本作品に先立って阿蘇山に登っているらしい。作中の人物は登山に失敗しているのだが。 実に深田はいざ阿蘇山に登ろうとしたが,「駅前に騒々しく群がる観光客を見ただ
2023/12/25 リンク