エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『スパイの妻』と、虚構としての映画|伊藤聡
何だかもう、最初から最後までうっとりしてしまった。そこにまぎれもなく「映画」がある、と感じたので... 何だかもう、最初から最後までうっとりしてしまった。そこにまぎれもなく「映画」がある、と感じたのです。黒沢清監督の最新作『スパイの妻』は、実に映画らしい映画、映画のかたまりといったフィルムでした。そういえば黒沢監督はよく「映画的瞬間」という形容をしていて、それは具体的に定義しようとすると意外に難しいのですが、伝わる人にはきっと伝わる言葉だと思います。そして監督の語彙を借りるのであれば、『スパイの妻』には驚くべき映画的瞬間が確実に存在していました。 たとえば序盤、高橋一生の働く会社を東出昌大が訪れ、ふたりが会話する場面。高橋が職場を歩きまわり、彼を追うようについてくるカメラの動きや、東出に「お元気ですか」と訊かれた高橋の「ええ、至極」というせりふ回し(誰かに「元気か」と訊かれたら、私も一度は「至極」と答えてみたい)。あるいは憲兵分隊本部の東出に呼び出された蒼井優が椅子に座り、とある女性の死を告