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エッセイ:汽水記 第3回/「彼岸のことはわからない」|えり
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エッセイ:汽水記 第3回/「彼岸のことはわからない」|えり
ふしぎなことに、子どもの頃に培ったイメージというのは大人になってもひっそりと続いている。 たとえば... ふしぎなことに、子どもの頃に培ったイメージというのは大人になってもひっそりと続いている。 たとえば「曜日」なる存在は未だに子ども時代の習い事別にイメージとして区分けされていて、月から土までいずれの曜日もひとつかふたつの習い事に行っていたわたしは、朝起きて今日が月曜日だと知ると「お習字の日」というイメージに包まれながらその一日を開始する。帰宅して眠り、翌日になれば、火曜日は「公文と英語の日」。水曜日は「絵の日」、明けて木曜日は「ピアノと塾の日」、金曜日は「公文と英語の日」、土曜日は「テニスとスイミングの日」。日曜日は自由の日。 もうどの習い事にも通ってなどいないのにその習い事のイメージだけが頭にも身体にも色濃く強烈に染み付いていて、たぶんこれからも一生、わたしはこの感覚のなかで生きていくんだろうなと思う。 ******* ところでわたしは、算数と数学が壊滅的にできない。 「できない」と「苦手