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反『美術館女子』女性の主体性と連帯の可能性、それを無視するな|近藤銀河
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反『美術館女子』女性の主体性と連帯の可能性、それを無視するな|近藤銀河
0. 前提 これは論文ではない、アジテーションである 前提としてあなたは『美術館女子』をめぐる議論に... 0. 前提 これは論文ではない、アジテーションである 前提としてあなたは『美術館女子』をめぐる議論における要点をある程度知っているものとする(例えば「女性というものを外部の客体として、無知の存在と見なすことへの批判」「芸術を感動という非知的に鑑賞することを推奨する点に対する批判」「女性が美術の中の深く関わっているのに、美術館女子としてそうした女性を無視することへの批判」「美術におけるジェンダーバランスの問題からこれは重大な問題である」などなど)。 私は今からそれとは少し違う話をする。違う話には要点が二つある。 一つは「インスタグラマーという主体をきちんと考える」。これを通して映えの主体性を考え『美術館女子』が持つ客体性を批判する。自撮りと場所を組み合わせて写真を撮影するインスタグラマーたちは─それが現代美術のジャンルに入るかはともかく─間違いなく行為主体である。しかし『美術館女子』の企画に