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「非ネイティヴの英語>>>ネイティヴの英語」という逆転の価値観|茂木健一郎
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「非ネイティヴの英語>>>ネイティヴの英語」という逆転の価値観|茂木健一郎
最近、いろいろな国、地域の方と会話するときに、どうしても英語を使う。 なにしろ世界には本来数千の言... 最近、いろいろな国、地域の方と会話するときに、どうしても英語を使う。 なにしろ世界には本来数千の言語があって、それをすべて知ることができないので、共通言語として英語を使う。 そんなときに感じるのは、母語が英語じゃない人が一生懸命に話す英語って、素敵だなということだ。 だって、そこには人生の元手がかかっているというか、努力と汗の結晶があるからだ。 一方、ネイティヴの人が話す英語はきれいで心地よいが、ネイティヴじゃない人が話す一生懸命の英語ほどの付加価値が感じられない。 その人たちにとって、英語喋れるの当たり前だろう、という感じがどうしても生まれるからだ。 私は英国に留学していた経験もあって、いわゆるオックスブリッジの英語がいちばん自然に聞こえる。 昨日のゴールデングローブ賞の授賞式を見ていても思ったことだけれども、アメリカの英語は「なまって」聞こえる。 それでも、英国やアメリカのネイティヴが