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雑然日記2020.06.25|+M
昨日、こんなツイートをした。 「丁寧な生活」というやつが、どうにも窮屈に感じられるのは、生活の一切... 昨日、こんなツイートをした。 「丁寧な生活」というやつが、どうにも窮屈に感じられるのは、生活の一切を自分の趣味や、制御に塗り込めてしまうと、そこには自分にとって価値の認められない他者の入り込む余地が消え失せてしまうからだ。 クオリティ・オブ・ライフという概念の貧しさも同根である。 おれは、例えば、特に楽しくも充実もしていない、必要に迫られてどうにかこうにか間に合わせで形をつけているだけの「普通の生活」をしていたい。 「普通の生活」というのは、意味のない偶然に翻弄されることを受け入れることだ。余分な厄介ごとに埋もれて、ただ、時に僥倖に当たることもある。 僥倖と言っても、たいしたことではない。例えば、聞くともなく聞いているラジオからふと流れてきた音楽に心を奪われる、といったような程度のことだ。書きたかったのは、偶然に開かれるということの豊かさであり、普通の生活の「普通さ」のなかにこそその豊かさ