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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑱|日建グループ
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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑱|日建グループ
生還した“無名の名建築”のきらめき今回の行き先 秋田市文化創造館今回は、筆者のたっての希望で秋田市・... 生還した“無名の名建築”のきらめき今回の行き先 秋田市文化創造館今回は、筆者のたっての希望で秋田市・千秋公園内にある「秋田市文化創造館」を訪れた。 「解体されて駐車場になるところだったんです」と、同館を運営するNPO法人アーツセンターあきた事務局長の三富(みとみ)章恵さんは言う。今の活気ある使われ方を見ると、そんな言葉は信じられない。だが、実際、危なかった。筆者も改修される前の元の建物を知っていて、てっきり解体されるものだと思っていた。今回はそんな“瀬戸際からの大逆転劇”をお伝えしたい。 美術館建設が戦争でとん挫し、戦後にリベンジ改修前の建物は、「秋田県立美術館」だった。現在の秋田市文化創造館は秋田市の所有だが、もともとは秋田県の建物だったのである。この美術館には別名があって、「平野政吉(ひらのまさきち)美術館」とも呼ばれていた。 平野政吉(1895~1989年)は、秋田市で米穀商を営む資