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愛知県美術館「アイチアートクロニクル1919-2019」の前半部分を見て思ったこと|Tanaka mizuho
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愛知県美術館「アイチアートクロニクル1919-2019」の前半部分を見て思ったこと|Tanaka mizuho
「アイチアートクロニクル1919-2019」の前半部分(庄司達の黄色い作品まで)を見た。クロニクル=年代史... 「アイチアートクロニクル1919-2019」の前半部分(庄司達の黄色い作品まで)を見た。クロニクル=年代史、つまりは愛知県の美術活動におけるこの100年の歴史研究の集大成。 歴史研究って昨今のSNSでも呉座勇一と百田尚樹、井沢元彦、八幡和郎らの泥仕合があって、体系的に洗練された検証能力を持っているのは研究である、という価値観がガン無視された発言がやたら散見される。研究がなぜ比較的優れた体系であるかは図書館行けばいくらでも論じる本がある、しかし多くの人にとっては、よほど専門的に履修せねば歴史研究について理解も興味も追っつかない。当たり前だが歴史研究はあらゆる専門職業と同じく、訓練しないと身につかない。「草野球とプロ野球」は違う、みたいなこと。 しかし歴史好きの人は、「草野球もプロ野球も同じ野球だ」「草野球のほうがプロ野球より優れている」みたいな意見をさらさら飛び出すことがある。「草野球とプロ