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西山夘三の嘆き/加古里子の願い|高層アパートと持ち家・一戸建てをめぐって|竹内孝治|マイホームの文化史
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西山夘三の嘆き/加古里子の願い|高層アパートと持ち家・一戸建てをめぐって|竹内孝治|マイホームの文化史
1974年12月27日。帰宅した西山夘三(1911-1994)は家に残されたメモ書きを発見します。「子供がアパート... 1974年12月27日。帰宅した西山夘三(1911-1994)は家に残されたメモ書きを発見します。「子供がアパートから落ちたのででかける」。それは西山の最愛の孫ふたりが、高層アパートのバルコニーから転落したことを伝える娘からの書き置きでした。 西山の孫はそれぞれ5歳長女と3歳長男。高層アパートの最上階である11階からの転落で、長男は即死、長女はかろうじて一命をとりとめました。孫を亡くすというだけでも大きな悲しみを伴う惨事である上、実は、高層アパートに住まうことをアドバイスしたのは、住まいの研究に関するエキスパートである西山自身だったのです。 遮音性能を考えると最上階がよいだろう。夏は暑いかもしれないが、日照・通風もよい。11階建てという高層アパートに居住経験のない西山は、「息子のすまいを通して住み心地を実験してみるいい機会」だと、研究者らしく考えたのだそう(『住み方の記[増補新版]』筑摩書