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個人の責任能力と法律について|imh
1. 自由意志は存在しないこと本来人間の責任能力などについて語る場合には、まず認識について、あるいは... 1. 自由意志は存在しないこと本来人間の責任能力などについて語る場合には、まず認識について、あるいは認識以前の問題から論じねばならないが、それらの論考は別の記事に預けるとしてここでは「人間に自由意志は存在せず、すなわち責任能力も備わっていない」ということを前提にする。 とはいえ、自由意志は存在しないという主張は刑法の前提を覆してしまうものであるから、一般には受け入れ難い内容であるかもしれない。概して説明すると、意志による行為を素因的に分析したとき、究極的にはその行為の有意な原因を特定し得ない、という考えがこの主張の元になっている。 一方で、実際的な話をする場合には自由意志を仮定したい。何となれば、自由意志を仮定した方がうまくいくからである。人間には自由意志がないという前提に立ったとき、法(特に刑法)は全く力を失ってしまう。犯罪を犯した者がいても、誰も彼を咎めることはできない。しかしこれでは