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佐渡金山の遊女墓/(2022/10/3)取材記/新潟県相川町(佐渡ヶ島)|渡辺豪|note
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佐渡金山の遊女墓/(2022/10/3)取材記/新潟県相川町(佐渡ヶ島)|渡辺豪|note
佐渡金山の遊廓を取材して遊女の墓を探してきました。 遊女だったヲカル(俗名)が没したのは明和8(177... 佐渡金山の遊廓を取材して遊女の墓を探してきました。 遊女だったヲカル(俗名)が没したのは明和8(1771)年。今から251年前のこと。地元の郷土史家・磯部欣三[1926 - 2006]氏は過去帳を調べ、死因に「抱主ニギャクタイサレ」云々と書き記されていたと、著書『佐渡金山』(1992年、中央公論新社)の中で明かしています。 冬季は水分が凍結して膨張を繰り返すために、墓石の痛みが進むようですが、250回ほど越冬したとあって、墓碑は酷く剥落しており、戒名の一部は判読不能でした。それでも墓石側面にまだ読める「水金町 ヲカル」を見つけた時は万感胸に迫りました。 「冬光妙寒信女」の戒名が与えられたヲカルの墓。明和8年12月6日没。台座もなく高さ60センチほどの小ぶりな墓石。真如院墓地内。(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)12月の寒空に虐待死したヲカルの身の上を想像するのは、戒名と相まってあまりに痛ましく