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幕末の会津藩
歴史に詳しくない私は、単純に判官びいきで会津藩が好きでした。 ところが先日、歴史に詳しい知人から以... 歴史に詳しくない私は、単純に判官びいきで会津藩が好きでした。 ところが先日、歴史に詳しい知人から以下のような側面もあったと聞き愕然としました。 会津藩は幕末の最後の段階で政策を誤り、不義不忠?をして京都守護職のときの栄光を自ら汚した。 会津藩は薩長土のような広い視野を持っておらず、世界の現実や日本の将来が見えていなかった。 会津藩は長年、領民に対して差別意識が高く過酷な施策を採っていたので(京都守護の経費を賄う以前から?)、領民から恨みを買っており、会津戦争直後には領民から同情されなかったどころか政府軍を歓迎した領民が反藩政の一揆を起した。政府軍は一揆側の要求をことごとく容れた民主的な善政を敷いた。 戦死者の遺体放置の件は、会津側だけでなく政府軍側のそれも同様だった。 戦後の遺体処理の件は、それを取り仕切ったのは村役人や他の東北諸藩の役人たちで、薩長は誰も参加していないし関与していなかった