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現象的意識と反省的意識
デイヴィッド・チャーマーズは、意識について「機能的意識」と「現象的意識」の2つの側面があると指摘し... デイヴィッド・チャーマーズは、意識について「機能的意識」と「現象的意識」の2つの側面があると指摘したそうですが、私の読んだ、「心の哲学入門(金杉武司 著)」では、「反省的意識」と「現象的意識」の2つに分けて説明されています。 反省的意識とは、機能的意識に含むものと考えればよいのでしょうか? また、もしそうだとすると、心が反省的な意識状態にあるとき、一切の現象的な意識は付随しないのでしょうか?付随しないとすると、自分が反省的な意識状態にあるということ自体、気づかないのでは…? そもそも、現象的意識という言葉の説明にある「質感」の意味を把握しきれてないのですが、要するに「主観的体験」そのものですよね? 「質感を持たない主観的体験」というのはあるのでしょうか? もし、「現象的意識」の言葉が指す内容が一定していないのであるなら、そのあたりも少し教えて頂けないでしょうか? あともう一つ、現象的意識が